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2011年5月11日 (水)

母という人

先日母の日ということで、母のお墓参りをしてきた。母が亡くなって4年。早いものだ。

 日頃は父について触れることが多いが、今回はちょっと過ぎてしまったが母の日もあったということで私の「母」について少し触れたいと思う。

母は4人の子供を育てたビッグマザーだ。(しかも、私から3人は35歳から産んでいるのだ。)とにかく我慢強い。何があってもへこたれないど根性女子だ。そしてどんな時も声を上げて笑っているような笑顔人だった。 

母は15歳で集団就職のため新潟から上京し、そこから10年、とても考えられないほどの劣悪な環境で働いていた。ここだけではとても言い尽くせないが、どの職場に行っても至極の意地悪ババアオールスターが揃いも揃っていて、あらん限りの嫌がらせをしてくるのだそうだ。結婚してからも自由でわがままな父をうまくいさめながら、本当に色々な苦労があったのだが、そんなことも母は笑いながらちょっと面白おかしく話すのだ。母曰く「なんでも最後に笑ったもん勝ち。」なのだそうだ。

そんな母が4年前、癌にかかった。あんなにショックを受けた母は初めてだった。それから何日間だったろう、母は泣き、私たちも泣いた。しかし、気が付くと母はもう笑っていて、抗がん剤の副作用で髪が抜け落ち坊主にした頭を撫でながら、「シャンプー楽でいいわぁ~。」とニコニコしながら私たちに話した。

私たちは母の大好物の「たこ焼き」を引っさげてはほぼ毎日病室を訪れ、消灯まで何時間もずっと話をしていた。検査も副作用も相当辛かったと思うのに、母はあまりそんな素振りは見せなかった。甘えるばかりで大した親孝行も出来ていない私たちに「お前たちがいてくれてよかった。」とその時ばかりは涙ぐんで言ってくれた。

それから母は余命3ヶ月と言われていたところを、1年半、精一杯生きてくれた。

そんな母のDNAが私にも流れているということが、私の誇りだ。

余談だが、母のお葬式の時、長女の私が兄妹を代表して母に別れの手紙を読むことになった。手紙は思っていた以上に涙でうまく読み出すことが出来なかったが、何とか必死に読んだ。最後に「長女由美子。次女Mみ、三女K子。」そして、「長男ヒロユキ。」最後は長男の名前でしめた。私なりの憎い演出だ。ところが近くに座っていた兄が急にガタンッと立ち上がったかと思うと、こう叫んだ。

「おいっ!!俺の名前はユキヒロだろっ!!」

え・・?ユキ・・?あ、あれ・・?え・・?あたし、なんて言った?ヒロユキ?なんでヒロユキ?おっかしいな・・手紙にはちゃんと「ユキヒロ」って書いてあんのに・・?

「お母さん!ごめん!!ユキヒロだよね!!なんか。ごめん!!長男ユキヒロ。です!!」と母の霊前で謝る私に「由美子・・あんたね・・。」と苦笑いする母の声が聞こえた気がした。会場は緊張の糸を無理やりぶち切られた皆様の堪え切れなくなった笑い声で埋め尽くされてしまった。

カーネーションを添えた母のお墓の前で手を合わせながら、そんなことを思い出した。

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